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ボードウォークに出会ったのが1998年、ボルダーコロラドでした。
その出会いの数年前にはアメリカの車椅子仲間チームフェニックスとの出会いがありました。
その数年前にはカリフォルニアでオフロード車椅子に出会いました。
さかのぼると僕と自転車の出会いがここまで導いてくれたのでしょう。
 ウイルダネス・オンボード(ボルダーのボードウォーク)との出会いは僕の人生を変えました。
そして車椅子を必要としている多くの方の純粋な心に癒され、どうしても日本にこの道を持ち帰りたいと思うようになりました。
それは、マウンテンバイクに出会った頃、この素晴らしいスポーツを日本に違えることなく伝えたいと
興奮した十数年前よりも増して、奮い立たせるものでした。
 出会ったことの素晴らしさに感謝しました。一歩一歩進むに連れて景色が涙でかすみました。
生まれて最高の感動を手にした瞬間でした。それから毎年数カ所のボードウォークを見学に行きました。
それだけでなく、僕が知らない最もつとすごい感動があるのではと探し始めました。色々な方から話しを聞きました。
そしてそれらを集めて現在の日本国内スタイルに漕ぎ着けました。
 今年(2002年9月)僕のUSAフィジカルチャレンジツアーに全面的に協力してくれている、
車椅子のアスリートであるアナ・アクトンが来日、苗場のインデペンデス・ボードウォークを一緒に散策しました。
彼女はこう言いました「八代が探し求めていた生まれてきた標しができたね」と。
アメリカとは少し違う、板にメッセージを大きく書くという行為について彼女は
「売名行為の多いアメリカでは無理だと思っていたけど、私達もそうするわ」と賞賛してくれまた。
コロラドでは角に書かれた小さなメッセージ、
ソルトレイクでは銘板に刻まれたメッセージ、カリフォルニアには美しいサインと短行のメッセージその他色々ありました。
しかし、この道を伸ばしたいというメッセージには違いがありませんでした。
僕はまだ日本では生まれたてのボードウォークをより多くの人にしっていただこうと、
一目して判る板いっぱいのメッセージを提案しました。
それは、日本最初のボードウォークである大東町に書かれたメッセージが最初より、少しずつ大きく成って行く事実からのものでした。
 インデペンデンスボードウォークは決して施設の名称として止まることなく、
今後も心に響くものに成長することを祈っています。
そしてこの道を最初に案内してくれたり、現在のフィジカルチャレンジツアーの基盤を作ったり、
毎年USAフェニックスチームの来日の準備などを手伝っていただいている、
同じマインドで共感し涙し、出会える環境を作ってくたMariko k Foster(いつも僕の文章に登場するマリリン)に感謝いたします。
また、一緒に感動を共有しましょうね。


                                                      やしろ ただし