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■定義1■

車椅子でいつでも自然の中を、自分の意志と行動によって散策することのできる特別で無い小径をインデペンデンストレールという。
 イベントとして障害者を介添えするホスピタリティーでは無く、日常に於いて誰でもが自分の意志で利用できる、パブリックな施設を整えた道で無くてはなりません。
イベントとして山岳地や森林浴を楽しむホスピタリティーを超え、障害者をケアする気持ちとエネルギーを、障害者直接に向けるのでは無く、間接的にインデペンデンスできるように環境を整えることの大切さを、ここでは定義1として提唱しています。
例えば車椅子を押しながら進む道で、人混みに出合った場合「車椅子が通ります」と声をかける行為よりも、車椅子の方がこられたら無意識に気が付いた人が周りの人に促し、道が広がることの素晴らしさを体験してほしいと唱っています。
総ての人が車椅子や弱視、聴覚障害その他も含めたパブリックな環境こそ自然と考え、無意識に反応することができれば、駅前の自転車の氾濫や、視覚障害者レーンの通行妨害などに対しても今のような状態にはならないことであり、これが即ち「特別」では無く、人間として当然のことだと言っています。

■定義2■

周辺の自然環境を汚すことなく、生態系を考慮し施工するに当たっても運搬や掘削などの動力を用いずに、作られる小道をインデペンデンスボーウォークという。
 定義1を可能にするため、私達は森に板を敷き詰めて、車椅子の方ががいつでも自然散策できるようにしようと考えました。
障害者の方がインデペンデンスし、自然を満喫してもらうためにと言っても、環境を破壊してまで作るのかと考えれば、目的を違えたことになります。障害者も自然環境も互いに弱者であり、このひとつを欠落することは決してできないことなのだと、感じ取って作らなくてはならないと訴えています。よって工事には最新の注意を図り、不必要な大がかりな工事をすることなく、このインデペンデンスボードウォークの必要性に応じた大きさの施工をすることも大切な要因です。工事をしたため、またこの木道を造ったため、森の環境が損なわれてはいけません。そのため、重機を使った工事は決して行わないことが大切で、出来る限り手作業でできる工作方法を思慮することが、植物や小動物も含む生態系を保守することができる。
工事車両通行のために森を傷つけたり、資材運搬のために植物を踏みにじらない行為が時によっては、木道の寿命より大切なことであると心して考え、決断しなくてはならない。命あるものは美しく寿命がある。
出来れば終わりではなく、常に保全することも決して忘れては成らない。この保全という行為がインデペンデンストレールを忘れさせなくする大切な役割を果たします。
作りっぱなしの施設は、森のゴミであり、そんな施設なら作ることを思い止まらなくてはならないと訴えています。

■定義3■

延長距離を得るためにのみこれらは作られてはならない。作る過程によって多くの理解者が増え、世界中の各地に同様の活動が広がることをインデペンデンス・ムーブメントという。
 このインデペンデンスボードウォークは、完成した道を車椅子の方が利用するだけを目的としていない。
それは、このような道を作らなくても、多くの人が障害者に対して、同等の権利と人権を持つことの大切さを理解しているならこの道を作る必要性は生まれてこないということである。よって一部の関係者が「誰かが使うだろう」と考え延長工事をしたとしても、この目的は達成しない。インデペンデンスボードウォークは、完成するまでのサクセスストーリーが最も大切であり、より多くの人に関わっていただくことによって、理解され、この道の必要性が生まれる。そして普段の生活の中においても、このボードウォークの精神が、障害者に自由を与えるきっかけとなることだろう。
インデペンデンスボードウォークは「自分の意志で散策できる道」だが、総ての道路をバリアフリーにしなくてはならないと訴えるものではない。この行為によって無意識にケアする心が生まれることを目的とし、決して大自然のあちらこちらに作り、感動を期待してはならない。
環境を考慮して作れる場所のみに設置し、総ての方の心のより所として存在してこそ価値が生まれる。それよりも大切なことはこれに関わったりよ多くの人々の心にインデペンデンスボードウォークはこの時すでに作られたという事実なのです。 
どこでも「見れる」ことは、自然に人が集まる要因となり、大きな観客を動員することになります。


■定義4■

バリアフリーとは施設の名称ではなく、人間の心に宿す「思いやり」を称する。そして作ることに関わる人、保全に関わる人、この道を利用する人、この道を広める人、誇りに思う人を総称してフィジカルチャレンジャーと賞賛する。
 インデペンデンスボードウォーク最後の定義です。
この道に関わった総ての人の思いやりが形になったのがこの道であると提唱しています。よってそれを実現させるために様々な工夫がされています。
ボードウォークのレールに打ち付けられている敷き板は、打ち付けようと意識し自ら打ち付けメッセージを書き込むことがルールとなっています。1枚1枚に理解者が存在することになります。例えばコロラドでは企業単位で工事に携わったり、敷き板を多く一括購入され場合も多く見られます。その行為も「打ち付ける」行為があってこそ認められています。ボードウォークは決して売名行為ではないのです。
敷き板に書かれたメッセージは何れ消えます。この消えることも大切であり、またもう一度新しい板を購入して打ち付けることを促しています。1回だけでなく、何度も繰り返すことが心の奥底に、この存在が大きくなると考えています。
事を起こそうとした時、車椅子で山に登ろうとした時、エネルギッシュなパワーが必要です。
不足を補う事こそ大切であり、このボードウォークは今最も忘れがちな人間としてのモラルを補うビタミンであるといえます。車椅子の方は肉体的(フィジカル)なハンディーを乗り越えるチャレンジャーとして、この道を作る方は肉体的に重い材料を抱えてでも延長工事を完成させたく、共感され打ち付けたボランティアは精神的(スピリット)に考えるだけでなく行動(フィジカル)に移すことの動機が生まれます。
これらはすべてバリアフリーの施設で覆われる世の中を待つのではなく、バリアフリーの心に満たされた人たちで包まれる世の中になることを期待しています。インデペンデンスボードウォークとはこの4つの定義を満たした募金を基本とした小径なのです。